番組データ
おたこのくせに
 おタコプーアワー・おタコのクセに!
おたこのくせに


【放送局】 KBCラジオ(九州朝日放送) 周波数1413KHz

【放送期間】 1999年10月4日 〜 2002年3月29日 (全650回)

【放送時間】 月〜金 0:05-1:00 (裏おタコのクセに!23:57-23:59)
         ※2001年10月1日より(月〜木) 21:00-22:00が加わる

【パーソナリティ】 おタコプー・ユッキー

【ディレクター】 おかまちゃん・王様・書記長

【AD】 吉田くん・川井ちゃん・高井良くん・北島くん・村上くん

【オープニング曲】 「48 crash」 Suzi Quatro

【エンディング曲】 「One Step Up」 Bruce Springsteen

【企画制作】 KBC九州朝日放送・株式会社サンケン

【タイムテーブル】
21時台
21:00 オープニング
21:10 曲・メッセージ
21:15 深田恭子 IN MY ROOM
21:25 メッセージ
21:30 スマイルプー
21:40 どんまいプー
21:45 メッセージ
Jリーグtotoゴールフラッシュ
21:50 おタコプーワードクイズ
曲・メッセージ
エンディング
0時台
23:57 裏おタコのクセに!
0:00 KBC朝日新聞ニュース
0:03 KBC天気予報
0:05 オープニング
0:10 曲・メッセージ
0:15 帯コーナー
0:20 (コークティーンズクラブ)
クイズタイムプー
曲・メッセージ
0:35 帯コーナー
0:40 ヤングプー
0:50 帯コーナー
メッセージ・エンディング
2001年10月から放送された21時台。東京からのパッケージ番組が2つ入っているので実質45分ぐらいの放送だった。割とゆっくりとしたコーナー編成なので、この時間帯は曲が長めにかかることが多かった。 裏おタコのクセに! は番組スタート時にはなく、1999年11月頃から始まった。オープニングは0:05になっているが実は0:06だったという話もある。0時台は時間が押すことが多く、ヤングプーやエンディングがバタバタなこともよくあった。

【解説】
1999年秋、ニッポン放送の「オールナイトニッポン」が3部制に。これに伴い、PAO〜N・3P・D-バスターズ・ゴリソンといった数々の名番組を輩出してきたKBCラジオの夜ワイドは0時台にお引っ越し。その時スタートしたのが「おタコのクセに!」である。中高生に絶大なる人気を誇るおタコプー、そして前番組からコンビを組んでいたユッキーを起用し、それまでの番組の雰囲気を残しつつ、よりリスナーに密接な番組になった。当初はゴリソン時代からのリスナーが大半だったが、開始半年を過ぎたあたりから新しいリスナー(この番組独自の呼び方である「ディスナー」という言葉も生まれる)が増え始め、それに伴いイベントや企画も増えてくる。その独特な下ネタの世界から「ヘンタイ番組」と称され、カラーは全く違うものの、人気は同時期に放送されていたCROSSFM「北野クラブ」にも決して引けをとらなかった。2001年秋からは放送時間を2時間に拡大するなど躍進を続けたが、2002年3月、おタコプーの「コンビ活動に専念したい」という意向もあり、まさに人気絶頂のまま幕を閉じた。
パーソナリティデータ (所属・芸名は放送当時)
おタコプー
 おタコプー


 【本名】  松田成史
 【所属】 吉本興業株式会社・福岡事務所
 【出身】 熊本県本渡市



天草が生んだクネクネお笑い芸人。幼馴染の井上修とワンダラーズ(現・プー&ムー)を結成。デビュー間もなく、独特な動きのおタコ体操で一斉を風靡。華大や ケン坊田中・コンバット満らと共に福岡吉本を支える。ラジオパーソナリティとしてもクロスFM「ハイパーサンデー」を7年間担当。99年からは「ゴリソ ン」でKBCラジオに登場。そのまま後番組「おタコのクセに!」のメインパーソナリティとなる。2年半、ディスナーの良き兄貴として多数の変態中高生を育 て上げた。


ユッキー
 ユッキー


 【本名】 小田有己江
 【所属】 株式会社マインドクリエイティブ
 【出身】 栃木県栃木市



東京の専門学校を卒業後、FM福岡のオーディションをきっかけに放送業界入り。FM福岡・天神FM等のDJを経て1996年「チャレンジ5」でKBCに登 場。その後夜ワイド「ゴリソン」のアシスタントに抜擢され、中高生のお姉さん的存在としてすっかり定着。声優のようなかわいい声とずば抜けた優しさでディ スナーの心をがっちり掴む。下ネタが多い番組の中で、暴走する男性陣のストッパー役としても活躍。この人抜きではおタクセは成功しなかったと言っていい。
スタッフデータ
【ディレクター】

おかまちゃん
 おかまちゃん


  【所属】 株式会社サンケン
  【担当期間】 1999年10月4日 〜 2000年5月31日


番組の初期にディレクターを担当したサンケンの社員。ゴリソンの頃からディレクターを担当しており、もっとさかのぼると「中島浩二アワー・THE3P」で もアシスタントスタッフを務めたことがある。おタクセメンバーの中では「お父さん」として慕われ、卒業の日にはユッキーが号泣したほどだ。ニックネーム 「おかまちゃん」はタクシーの運転手から命名されたもの。現在は大分で保険の仕事をしているそうだ。


王様
 王様


  【所属】 株式会社サンケン
  【担当期間】 2000年6月1日 〜 2002年3月29日


おかまちゃんに代わり、同じくサンケンからやってきたディレクター。このニックネームはアーティストの王様に似ていることから付けられた。いつもニコニコ していて穏やかな人柄。体毛が濃いことで有名で、おタコやディスナーからしばしばネタにされていた。しかも、自ら上着を脱いで胸毛を自慢するあたりタダ者 ではない(笑)。奥さんが以前、六本松でお好み焼き屋を経営いたのでそこで握手会も行われた。


書記長
 書記長


 【所属】 KBC九州朝日放送
 【担当期間】 1999年10月4日 〜 2002年3月29日


おタクセをスタートからラストまで引っ張ったKBCの社員ディレクター。自らも昔ラジオでネタ職人をやっていただけあって、ネタやお笑いにはなかなか厳し そうだ。放送中もサブからおタコやユッキーに鋭いツッコミを送り続けるが、声が大きいのでいつもインカムの声が放送に乗ってしまう(笑)。ニックネームの 「書記長」とは、おかまちゃんと同じくタクシーの運転手が付けてくれたもの。どうやらロシアの体操選手っぽいから、という理由らしい。


【AD】

吉田くん
 吉田くん


 【所属】 九州大学
 【担当期間】 1999年10月4日 〜 2002年3月29日


ゴリソン時代を含め、番組の最初から最後まで担当した「カリスマAD」である。その人気と実力はダントツで、イベントでの前説は毎回好評だった。その前説 から「おっはー」という名SEが誕生したことは有名な話である。その他にも「ふぁんたすてぃっくタンパク質」をギャグトレードで獲得してSE化、2001 年の夏には生放送中にチェリーを収穫するなど、話題が盛りだくさんのADだった。


川井ちゃん
 川井ちゃん


 【所属】 福岡大学
 【担当期間】 1999年10月4日 〜 2001年5月ぐらい


吉田くんと同じく、ゴリソン時代からADを務める。特に握手会の取材では愛車でスタッフを送り迎えするなど大活躍だった。おタコやユッキーからもネタにさ れることが多く、「うまいこといいますねぇ」という大ヒットSEも生み出した。吉田くんと並んで番組の看板ADだったが、学業への専念と「出会いが少な い」という理由でおタクセのバイトをやめ、喫茶店のバイトに就いた。しかし結局留年してしまった(笑)


高井良くん
 高井良くん


 【所属】 九州大学
 【担当期間】 1999年10月4日 〜 2000年10月?


番組スタート時から担当し、吉田・川井の2大ADに続く「おタクセ第3の男」等と言われることもあった。他の2人があまりにもインパクトが強かったため、 何かと地味な存在として見られてしまうことも。そんな扱いに嫌気が差して(笑)、長期間バイトを休んでドイツを一人旅したこともある。ついにオリジナル SEも作ってもらえぬまま、学業が忙しくなった為かいつの間にかADを卒業していた。


北島くん
 北島くん


 【所属】 九州ビジュアルアーツ
 【担当期間】 2001年5月 〜 2002年3月29日


川井ちゃんが抜けた後にやってきた。背が高く、声も大きくて元気なADである。クイズが大好きで、後期のタイムプーの問題は主に北島くんが考えていた。そ のタイムプーで、本番前に出演するディスナーのテンションを上げるのが得意だったらしい。将来放送業界で働きたいという夢を持っており、常に番組とリス ナーを大事にしていた。最終回の夜にKBCの前で酔っ払いながら語ってくれたラジオ論は忘れられない。


村上くん
 村上くん


 【所属】 九州大学
 【所属】 2001年7月? 〜 2002年3月29日


おタクセ最後にやってきたAD。腰の低さと爽やかさでディスナーにもさっそく受け入れられた。番組で恋のお悩み相談をするなど純情な一面も。KBCで行わ れた「ディスナーの集い」からは吉田くんからバトンを受けて前説を担当し、予想以上の落ち着きで周囲を驚かせた。次番組「ミミトモ」では人気・実力ともに エース級のADとなり、まさに「ポスト吉田」として見事な活躍を見せてくれた。