ディスナーのみんなが書いてくれたおタクセの思い出  

※あなたの思い出も募集中です⇒コチラまで
おタコのクセに!の思い出、印象に残っていること、おタコさん・ユッキーさん・スタッフの皆さんへのメッセージなどを是非お寄せください。短い文章でも全く構いません。よろしくお願いします。



from みのはらトロ


やはり、「お願い小柳裕一」の大ヒットが印象的ですね(手前ミソですみません…)。
8週ぐらい連続で1位を取って、そのままの勢いで全国ツアーへ。やっぱり、東京でのジミー・ペイジとの共演は忘れられないな〜。・・・ごめんなさい。

僕は受験の関係で、中期はあまり聞けてなかったのですが、特に後期はとても楽しく聞けました。久々に聞いてみると、いつの間にかディレクターが弥吉さんから新田さんへ、いつの間にかADが吉田・川井・田中から吉田・川井・北島というメンツになっていたので少々とまどいました。

↑濃いですか、この話?(笑)

正直、終わった時はとても悲しかったのですが、今ではとてもいい番組だったなぁとフィール・ザ・ハート。ゴリソンと並んで僕の胸に深く刻み込まれた番組でした。

↑クサイですか、この話?(笑)


最後に一言。

おタクセ最高!うまい事いいますねぇ〜。



追伸.おタクセ最終回の前に某センバツ出場校のサイン盗みがあったのは、何かの縁でしょうか?(←昔の話をほじくり返すなよ!)



from SMILE向上委員会


どうもSMILE向上委員会です。
今や常連からは完全撤退してますが一応生きてます。

おタクセの思い出ですか・・・とりあえず3つ程あげましょう。

◆イベントにて全裸を晒すパーソナリティがいたこと。
 (2001年5月・ラフォーレ原宿小倉店での「普通のイベント」にて。)

横にいた真一郎氏・太ムン氏は「しっかり見えた」とか言ってましたな。
この時の小倉イベントは吊パンといい、ジュリアナ集合といい、
今でも語り継がれる桃ジュースといい・・・
「普通のイベント」とは言いがたい内容でした。
個人的に印象に残るイベントの一つです。

◆音ネタコーナー復活でKBCの音ネタ職人が集う。

UPSIDE DOWN氏とか「PAO〜N」等で活躍してた方が
世代を超えても人気になっちゃうということを証明しました。
個人的には「お願い小柳裕一」ですね。
車のCMがかかっただけでも笑った記憶があります。

◆一般人がパーソナリティ?「太ムンのクセに!」

本当面白かったです。実はその時ネタも採用されてたし。
明らかに太ムンさんが出るって事で狙ってたネタなんですけどね(笑)

ちなみにおタコ氏から突っ込まれてた
太ムンさんとの関係ですが・・・何も有りませんよ。本当に。
イベント後の打ち上げ等で周りの中高生を気にせず二人で
「生ビール」「スクリュードライバー」とか店員さんに言ってただけなんで。
(当時20歳以上は真一郎さんもいたがお酒は全く飲めなかったので)


では最後に「パーソナリティーと街で偶然で会う方法」を伝授します。
(実はおたこ氏ともゆっきー嬢とも偶然会った事あり)

まずおたこ氏。
おたこ氏はまず劇場周辺・脇山口・城南区某所(自宅周辺)が主な出没スポットですね。
あとは・・・アーティストのライブには結構行ってるみたいで。
ゆずとかaikoとか親交のあるアーティストのライブには行ってるんじゃないでしょうか。
大きい会場だと後ろではなく前の方にいると思いますので。

次にゆっきー嬢。
ゆっきーの出没スポットはズバリ「ライブ」。
・・・実は去年トライセラトップスのライブで偶然会ったんですよ。

君が20歳以上だったら結構色々な話できるかもしれません・・・(意味深)

三日に一度は行ってるらしいので
アーティストのライブに行ってみるとゆっきーに会えるかもしれません。
ちなみにロゴス等では1階のドリンク配布場所の近くに
よく関係者がいますので探して見てください。

というわけで以上SMILE向上委員会でした。




from ムウマ


自分がおタクセを聞き始めたのは、2000年5月頃からだった。
それで、ネタ投稿もほぼ同時期だったと記憶している。

公の発表では「初採用」はメッセージと言ってはいるが、本当の「初採用」はネタだった。
その
ネタの内容がひどいものだったので、


この軽率な行動は
ディスナー人生の後々まで引きずることとなる。(そして今も)



おタクセは、どこか不思議な感じがした。

時にはひどい下ネタが満載だったり、時にはおタコ邸の場所を言いかけたり、
時には真剣に悩みの返事をしてくれたり(ユッキーのみ)

調子に乗るおタコで半分無法地帯になりながらも、
ユッキーのストップにより、ディスナーとしては快適ないい温度に保たれていた。


ここからは、文章でいくのも何なので、
箇条書きで自分の思い出を語っていくことにしたい。



自分の位置

 おタクセでは、女子唯一のネタ職人番組記帳係として徹していた。

 女子唯一と言えども、ネタを出すことに性別は関係無いし、自分としてはごく普通にネタを送っていたので、
 こういう世界での
女子という性別の貴重さを感じていた次第だった(笑)

 番組記帳では、ノートに「日付・オープニング・タイムプー・ヤングプー・読まれたRN」等、イラストと共に事細かに書いていた。
 やり始めたきったけははっきり覚えている。


 「人と違うことをやりたい。自分しか成せない地位を持ちたい。」

 その信念だけで、2000年7月から2003年3月くらいまでの約2年半ちょい、よくやれたな、と自分でも思っている。
 (もともと、記録をとったり思い出作りをするのは好きな性分でもあるし)

 2002年3月でおタクセが終わったのだから、2003年3月くらいまでというと、ミミトモ時期まで食い込んでいることになるが、

 ミミトモノートは、おタクセノートよりも手を抜いてます(ぉぃ

 書いていることは書いていても、ミミトモも途中からは金曜日(JK週)は書かなくなったり、
 ついには本業に一生懸命になりすぎて、プー&ムー週も書かなくなってしまった。

 しかしながら、おタクセ時期のノートは丹精込めてますので、(あるとすれば)おタクセ同窓会には持っていけます(笑)

ノートを元にして作ったのが、「おタ語辞典」だったりもする。

 WEB版に編集して下さったSMILEさんには感謝します。
 感熱紙製の原本は、おそらくもう文字が消えているでしょう(苦笑)

 このノート、日付のみを書かれたカセットテープと照らし合わせて、聞かずとも内容を知ることができ、
 思い出云々と一緒に、結構重宝。


 そのノートですが、今、No.9('02 4.6〜6.2)が
 絶賛行方不明中です。



偽名

偽名というんだろうか?
このムウマを底とし、ムウマ書記太ムン派ネーム:ムウマ書記局長ムウマ姫等、
複数のRNでディスナー時代を歩んできた。

しかし、この他にもまだ偽名を使っていました。


ある時期、
全体のネタのレベルが、ミミトモと比べ物にならないくらい上昇しつつあった時期があった。
その影響で、自分は、3回の全コーナーにネタを送っても
全く読まれなくなるという状態になってしまった。

それでスタッフに嫌われていると自己嫌悪し、最後の手段として偽名で送ることにした。

それも長くは続かなかったんだけど、雨渦清魔、これ、覚えている人いるかなぁ。
ネタは、
「ラクリタヨシナリー」くらいしか飛ばしてません。

カウントダウンぬぽーん

 女子という性別の貴重さを使い(?)、割と目立つことができた。
 暗記歌ブームに影響され、「老中!」を作ったが、
 このごろ、やっと普通に自分の音ネタを聞くことができるようになりました(笑)

 「忘れてたよケンタ」や「勝手にDJ」への組織票で、組織票ディスナーとして、一部の人に思われたりもした。
 それより、組織票に関する制約ができた。
 
 そして、「王様の歌」「元AD川井ちゃんの歌」という、内輪ネタの連続投稿。
 それにより(かどうか)、内輪ネタに関する制約ができた。

 いいのか悪いのか、反面教師でカウぬぽ向上に貢献していた気がする(笑)


おタコのクセに!握手会(おタコビクス伝承会)

 よく出掛けに行ってたもんだ、中学生のくせに・・・と、今高校生の自分から見てそう思う(笑)

 当然ながら帰宅も割遅になってしまうが、言い訳は、部活やら委員会やら。
 相当無理がある言い訳をしていた(苦笑)

 福岡264さんにもお世話になりました。

 ムウマ姫、と呼ばれるようになったきっかけも握手会だったな。


おタコのクセに!最終回

 最終回の発表があった時、本気で悲しかった。
 ネタコーナーのレベルも高くて、番組自体の運営も一杯一杯では無かった気がする。

 最終回の放送の最後、ガガガSPの「卒業」と共に流れたディスナーの声メッセージで、
 泣きそうになった記憶がある。

 それから、ガガガSPの「卒業」は、自分の中では最高?の「別れの曲」となっている。

 この日、「返事」宛に、家庭の事情の相談を送って、結局「返事」は無かった訳だが、
 放送終了後にゆっきーより「返事」が来た。

 ゆっきーさん、ありがとうございました。


…うーん、長くなったけど、他の人はどうなのかなぁ、と気になる今(笑)




from スイマー大森


おタクせは、俺が初めて投稿し、イベントなどに参加した、ラジオ番組である。
そして、おタクせでの思い出と言えば、沢山のディスナーとの出会いである。おタクせは、パーソナリティーである、おタコさんやユッキーさんもディスナーと隔てなく、近い存在で接してくれ、わきあいあいとして、とても楽しい番組でした。
おタクせには、他のラジオ番組にはない“やさしさ”がある、やさしいラジオ番組であったと思う。
俺が、社会人になると同時に、おタクせは終わってしまったけど、俺は、おタクせでの出来事は忘れない。




from しんいちろうミイラ


祝・おタクセ記念館開設。
それにしても今思うとおタクセってすごくバランスが絶妙な番組だったと思います。
おたこさんがバリバリ天草弁使ったり、「ディスナー」を始めとする様々なおタクセ用語を使って、
リアルな帰属意識、というか「聞いてる人にしかわからないあの感じ」がすごく感じられ、
それでいてとっつきにくさがあまり無いという非常に稀有な番組だったと思います。
あと、どっちかというと2人ともボケ役って感じで不思議なテンポだったよなぁ。(しみじみ)
何よりも2人の人柄の良さがよく出ていたし。
本当に素敵な番組でした。
最高の時をありがとうと言いたいです。




from おかままま


リストラされた男達は今日もただ、じっと窓の外を眺めている。
でも、私は違う。
ぶっかけ、スカトロ、10人抜き、レズに3P、牛乳浣腸。
あの日、生きるためにプライドを捨てた・・・。
そんな私でも、ときどきは思い出す。
ストーリー重視の疑似本番、単体物でデビューした輝いていた自分を。

「何才に見える?」不安と好奇心の入り交じった表情で隣の席の女が聞いている
。 
しばらく間をおいて男が答える。「30才?」
女は、当然のように怒った。「まだ29です。」
でも、私は違う。
年の割には垂れた胸やたるんだ腹、コンプレックスだったそれら全てが武器になる。
28才になった私の明日の出演作は「熟女38才 主婦のいけない日常」

疲れて泣き叫びたいときもあなたは歯を食いしばる。
「さすがはプロだ。素人には真似できない。」みんなが、あなたを称賛する。
でも、私は違う。
嫌な時は嫌だと言い。
恥ずかしいときには涙も流す。
「素人企画物女優」
髪型や名前を変え私は、素人を演じ続ける。
たとえ出演100本目を祝ってくれる人がいなくても。



そんな彼女達は想う、「おタコのクセに!」が懐かしいと。

 

from 太陽とムンムンムーン


(2006.6.24追加)

番組が終了して早いもので4年の月日が流れました。
このサイトにも今なお一日20〜30件のアクセスがあります。
強烈なインパクトを与えたあの番組が、今でも当時のディスナーの心に
残っているのかと思うと嬉しい限りです。

特に最近は当時中学生だった子がちょうど大学入学の年代に
なったということもあって、久しぶりに来てくれるケースが増えています。
なんだか自分も歳をとったんだなと嫌でも実感させられます(笑)

あと何年かしたらおたこ・ゆっきーを囲んで同窓会をやりたいですね。

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その日、私は前期試験を受けた後に大学のパソコン教室に寄った。
そこには後輩のMがいた。彼もおタクセのディスナーだ。
軽く言葉を交わし、家に戻って食事を取る。
23時、某14番のバスに乗って天神方面へ向かった。
変な感じはしたが、不思議と緊張感はなかった。
ADの吉田くんに迎えられて3階のラジオ第2スタジオへ。
順調にリハーサルを終えた。何とかなりそうだ。
しかし、ここでディレクター・書記長から指令が出た。
「来週の春駒のお題と例題を考えて」
焦った。秋山アナがニュースを読んでいる間に必死に考えた。
そんなこんなで全く緊張する余裕がないまま本番に突入した。
緊張してないはずなのに・・・

噛む、噛む、噛む、噛む、噛む、噛む・・・・・

マイクの前で喋ることがこんなに難しいとは!
今でも聞き直すと顔から火が出ます。
でも本当に貴重な体験をさせてもらいました。
何と言っても憧れのKBCラジオ第2スタジオで喋れたんですから。
それもこれもおタコさんのバッティングセンスのおかげです。

こんな前代未聞の素人喋りをOAしてくれるぐらい、オープンな番組でした。
普通のローカル番組以上にリスナーに近い番組でした。
特に感動を呼ぶようなコーナーがあったわけでもないのに、
聞いてて安心感や暖かさがあったことを思いだします。
これはたぶん、おタコさん・ユッキーさん・スタッフの皆さんの
優しさとチームワークの良さがあったから。
こういう番組だからディスナーにもやっぱりいい人が多かった。
あの何とも言えないアットホームな雰囲気が大好きでした。
そんな番組のファンサイトを運営できたことを誇りに思ってます。

では最後に、一時期「ディスナーの小部屋」のトップページに載せていた
自作のおタクセキャッチフレーズを紹介して締めたいと思います。

「誰でも主役になれるお手軽ラジオ」

本当に楽しい思い出をありがとう。




from アポロン宮崎


おタクセを聞くきっかけは、前のKBC夜ワイド「ゴリソン」からだった。
水・木のコンビがやけに面白かったのを覚えています。
そしてその番組が終わり、悲しみにふけっている時に
新番組「おタクセ」が始まった。


開始当初は参加せず常に聞きっぱりであった。
なんせ私に「ネタを作る才能」がないと思っていたから・・・。
ところが、こんな私にも番組に参加するチャンスが出てきた。
私の地元、唐津での握手会が催されたのだった。
(しかも、ちゃんとOAに乗ったし。)


その後、私の2代目ラジオネーム「アメンホテップW世」と言う名で
音ネタコーナーに投稿した。
カウぬぽのデータベースで聞いてもらえばわかるが
音質が悪すぎる。
そして、作りなおして送ったが以後一切放送されなかった。
運が悪すぎる。


番組のイベントにも参加をした。
初参加が「ディスナーの集い」である。
このときは誰とも喋らずに過ごした。
(でも、みのはらトロさんに軽く挨拶をし、真一郎ミイラさんに握手を求めた。)


2回目の参加がファイナルイベント「ヘンタイになりたくて」である。
このイベントでは、元・たける組のメンバーと出会い、話もした。
そして、ミミトモへと場所は移動した…。


この「おタクセ」という番組は私にとってラジオの本当の面白さを、
そして、新たな出会いを教えてくれた番組でした。
今春、私は九州を離れる事になりますが、この番組のこと、
出会ってきた人々のことは絶対に忘れる事は出来ません。


 いろいろな思い出をありがとう…。




from 中原中のスペースお嬢ちゃん


おタコのクセに!は、あたしがラジオをよく聴くようになったきっかけでもあります。
あたしはホントにラジオに興味がない子で、おタクセが始まった当初は番組の存在自体知りませんでした。。
友達に『聴いてみて!』って言われてもずっと聴かないで、
やっと初めて聴いたのが中学3年生の9月ごろだったと思います。
今思うと、すすめられても聴いてなかったコトがとっても悔しいです(涙)

誰でも分け隔てなく受け入れてくれて、ホントに居心地がいい、そんな番組でした。
だからやっぱり、最終回の話を聞いたときは、寂しくて悲しくて、なんとも言えない気持ちでした。。


あたしがラジオを愛するようになったのは、おタクセのおかげです。
だから、おタコのクセに!という番組に出会わせてくれた友達とか、
KBCラジオ、それからおたこちゃん・ゆっきーちゃん、スタッフの皆様、
たくさんのディスナーさんに感謝してます。
ありがとうございました!
ラジオを聴き始めたいちばん最初の番組がおタクセでよかった☆




from むーちゃん (36さい、チャンピョン太)


きゃー!おひしゃしびゅり!むーちゃんにゅ!みなしゃんおげんき?

むーちゃんはおげんき! ほめてほめて! きゃー!ぎゃー!

むーちゃんはおタクセの終了と同時にやまぐーちにひっこしましちゃ。
なので
KBCらじーおがあまり入りましぇん。くすん。

なのでむーちゃんの中ではおタクセに参加できた思いでが人一倍強く
のこっていましゅ。。。

ディスナーの集いにもいっかいゆきましちゃ。ステージにも立たされて、
立ちました。もとい、恥ずかしかったでしゅ。でもディズナーのみんなと会えて、
うれしかったどす。おまけにムウマしゃんからはちょこもらったしにゃ!辞典もにゃ!

その後、王様から風邪を移されて、すこし気持ちよかったでしゅ。

おタコしゃん、ゆっきーしゃんは、お元気でしゅか?おタコしゃんは
福岡帰ったとき、ミミトモでお元気そうなのをはいちょうしておりましゅが、
ゆっきーしゃんわ?わ?わ?ぅゎ?

最後に太ムンしゃん、記念館おーぷんおめでとうございますでやんす。
むーちゃんうれしかったどす。ちょくちょく見にきましゅ。

ほいだらにゃー!




from ナイトスロープ生き残り隊

僕とおタクセ

文責:ナイトスロープ生き残り隊

前番組、「ゴリソン」が終わったとき、正直僕はこの新番組(おタクセのことね)を聴くつもりはありませんでした。
何故かというと、ディレクターの青木雄二氏がテレビ(当時の午前にあってた「ウルトラマンボウ」)に行くために、ラジオの担当から外れることになったからです。このことをゴリソンのファイナルイベントで本人から聞いたときはめちゃくちゃショックで、青木さんが担当から離れてしまうし、僕も受験生となるわけだし、きりがいいから深夜ラジオ界を引退しようかなと思いました。
そんなことを考えてるとき、僕の目の前に登場したのがもう一人のディレクター弥吉さん(おかまちゃん)でした。
彼は「おタコのクセに」への続投が決まっていました。

「お前のようなラジオ好きが好きになる番組を作る」

その言葉だけを残して、彼は去っていきました。
ラジオ好きが好きになる番組
それは僕が追い求めているものでした。弥吉さんの言葉を信じてみようと思いました。

そして、4月おタクセが始まりました。
最初のころはやはり番組として若かったせいか、イマイチな短命企画が多かったように思います。しかし、数多くの常連はがき職人に恵まれたおタクセからは、「ちょこっとギャグ」「混ぜて恋する5秒前」「旅芸人はるこま」「カウントダウンぬぽ〜ん」などの名コーナーが生まれた。やはり、名番組には「名はがき職人」が必要だな〜、といまさらながらに思います。

そして絶対に忘れてはならないのがパーソナリティーの2人の人柄でしょう。
おタコさんは、多忙な売れっ子なのに、イベントではリスナーの相手をしてくれていました。女子中高生ファンの心をしっかりキャッチしてるな、と思いました。
そしてゆっきー。僕は自信を持って言えます。
彼女は「日本一リスナーに優しいラジオパーソナリティー」です。
そういえばある日、偶然天神の中央郵便局でゆっきーにあったとき、「お茶しない?」とナンパ(笑)されたことが思い出されます。
あの時話した熱いラジオ談義は忘れられないです(笑)

番組最後の一年は大学生になって深夜にラジオを聴く生活じゃなくなったので、番組を聞くことが少なくなってしまいましたが、本当におタクセは思い出深い番組です。
もうこんなにいい番組は出てこないんじゃないかと思います。(ちょっと毒を含んでますが)

そして最後に、僕が深夜ラジオを聞いてた間、ずっとお金を出して番組をタイアップしてくださった(株)コカコーラ・ウエストジャパン(旧北九州コカコーラボトリング)関係者の皆様、本当にありがとうございました。おかげで、楽しいラジオ生活を送ることができました。大学の自販機ではなるだけコカコーラ製品を買うようにしています(^^)
それではみなさん、またどこかで会いましょう。

ナライバ。




from ブルーロケッツの背番号1


それまではFM、とりわけJKオンリーだった僕が、「魔が差して」AMに殴り込みをかけた最初の番組だった。
最初は、変態ラジオにあって「社会派正統派リスナー」と呼んでメッセージを送る。
でも、メッセージなんて、めったに読まれなかった。
「ネタを読まれるためには下ネタを駆使しなければ・・・」 そんなことが脳裏をよぎっても、プライドが許さなかった。
まじめに送り続けた結果、ただおくんが持っていた「メッセージ連続ボツ記録」を更新して、43まで伸ばしてしまった。

読まれたネタを思い出してみると、<童謡「さっちゃん」の2番の歌詞はどうだったのか> あとは覚えてない。
ディスナーの小部屋では名が知れていたのに、番組だけでは知っている人のほうが少なかった。

「クイズ・タイムプー」にも出させてもらった。1万円もらった。
ギロチンQは「告白タイム!」だったと思う。演技するのが苦しかった。
なぜか西鉄大牟田線の駅の名前を暗唱しながらフェードアウトした。  「ブルーロケッツの背番号1のくせに!」ってフッてほしかった。。。

2001年からは「変態になりきれない」ことを理由に、LOVE FM(MUSIC CLICKERS)に浮気した。
だから、「くりサタ」のことは分かっても「おたくせ」は、いっちょん分からんかった。

今となっては、PAO〜Nの「ハニワの部屋」や、まずラジの「艶だし川柳」でゆっきーとともに精進している次第。
今となっては、心の支えはくりぜんとぶーちゃん(宮本アナ)の同い年・独身の二人しかいない。

そういえば、夏のラジオまつりでゆっきーに会ったのに、1週間後のZ−SIDEでは名前を忘れられていた事件は今でも忘れない。。。
おたくせよ、永遠なれ!




from 変声リキゲニア


「おタクセのおもひで」

こんにちは。俺は”変声リキゲニア”という今考えるとダサいラジオネームでディ スナーしていました。時期は2000年の4月、高校受験の必須アイテムともいえる携帯ラジオをかけながら勉強していたとき、ラジオから奇妙な番組がミミに 入ってきました。それがおタクセです。おたこはハイホーとかで知っていましたが、俺はユッキーさんの美声にほれてしまい、ついには5月の…詳しくは忘れま したが、クイズにでました。そこでギロチンキューをされてしまい、仮〇ライダー1号の藤岡弘さんのモノマネで爆笑されました。あのときは本当に嬉しかった です。そしてそのあとも、「テーマは一日にしてならず」で、ハガキが読まれました。そのときのテーマは「ともだち(?)」で、写真をハガキに添付、その写 真に矢印を書いて、当時好きだった女の子を「S〇〇フレンド」などと大変ゲヒンなことを書いてしまい、これも大爆笑されました。ほかには、ハーゲンダーツ のアイスクリーム券夏休み分の抽選にも当たりました。それから、サインももらいました。そのサインにはユッキーの顔が載っており、はじめて拝見させても らったのですが・・・どぉしても声と顔のギャップがありすぎて、それ以来、ラジオを聴くのをやめてしまいました。(爆 でも俺の中ではおタクセはとっても 楽しいラジオでした!!通りすがりでメールしてみたんで、こんな長い文になってしまいました。すいません



from おたくせ水泳部


O・M・Gのコーナーでの出来事です。

「か」で始まり「い」で終わる6文字のおタコのギャグを当てるコーナーでした。
「その言葉は主に謝る時に用いる言葉」というヒントを頼りに当時中学生の糞餓鬼の頭をフル回転させ僕は考えました。


「謝る時に使うんだろ?か・・か・・かた・・





・・『かたじけない』だ!!!!間違いない!!!!」




そう確信した糞餓鬼は早速メールを送りワクワクしながら放送の日を待ちました。










なのに・・・










正解が『かたじけぬい』はないだろ(笑)



当たるわけないじゃん(^^;



そうやって僕は大人になりました(笑)
今ではいい思い出です。。




from 広島県人 大学2回生


俺が中1〜中3だったころを思い出します。
毎日毎日おタコのくせにを聴くのが日課であり一番の楽しみでした。
確か呉に住んでいる人がよく投稿してましたよね。
やっぱ一番好きだった企画は、あの体操をする「わきわきわきわきやまぐち」ですね(^^)
最終会前夜や最終回、テープにとりましたよ!
このラジオ番組が一番一番好きでした。
おタコさん、ゆっきーさん今後も頑張って下さいね!




from モンテスQ


時が過ぎるのって早いなぁ
高校入学したと同時に始まって
あっという間に楽しい時間が
あの中で過ぎ去って辛い事があれば
おたくせで元気をいっぱい
もらった事を今でも鮮明に覚えてます(笑)
色んなイベント見て色んな人達に
出会ってもぉホントに濃すぎる人達ばかりで
自分で言うのもあれなんですけどね(笑)
いつの頃やら何故か桃ジュースなんぞが
語り継がれてたり本人はビックリ!!
桃ジュースが誕生したのは何でだろう?
気になるでしょ皆さん!それはね・・・
秘密です!!おたくせ同窓会の時にでも
お話いたしましょう!
しかし小倉まで桃ジュースを
持って行くのは大変でした
なんせ夏まっさかりでしたから!
それではこの辺でアディオス!




from ×××●タケル


いやー…懐かしいです。
自分のペンネームすらうろ覚えになるくらい、あれから随分と時間がたったものですね…。
当時は何となく聞き、何となくハガキを書いて…何故か電話でお二人と話し…その中で言ったセリフがちょこちょこ使われ続けるという羞恥プレイに合いました(笑)

『おっ…おっ…おタコってすごぉいw』

…あれは私ですorz



あれから色んなラジオ番組を聞いてきましたが、おタコ&ユッキーを超えるパーソナリティに出会えません…また聞きたいなあ。