ヤングプー
期間 番組開始(1999.10) 〜番組終了(2002.3) |
放送時間 月〜金 0:40〜 0:50頃 |
番組の核と言っていいコーナー枠。主にネタのコーナーで、この枠で活躍する“ネタ職人”もたくさん生まれた。タイムプーが長引いて時間が短くなることもしばしば。2001年10月からポイント制が導入され、週間・月間・年間・そして番組終了時にはランキングが発表された。 |
【ヤングプーの変遷】 (コーナー名をクリックして解説を見よう)
※1 金曜日から移動
※2 「握手会」からタイトル変更。10月から9時台のスマイルプーに移動。
【コーナーの解説】
混ぜて恋する5秒前
月曜ヤングプー 1999.10〜2000.9 ※2001.6に1日だけ復活
あるモノとあるモノを混ぜて全く新しいモノを作ってしまうネタコーナー。もちろんコーナー名の元ネタは広末涼子の「マジで恋する5秒前」。コーナーの頭でユッキーが「広末涼子でーす♪」と挨拶するとスタッフから「ブー」というSEツッコミが入るのが恒例だった。毎週、一番面白かっ
た作品には「ワセダ」と称したユッキー手書きの絵が送られる。初期の一年を支えた人気コーナーであり、終了後もHPのコーナー投票で1位を獲得。2001年6月に一夜限りの復活スペシャルが行われた。

こんなコーナーでした

終了時の総集編

一夜限りの復活スペシャル
おタコのクセに!握手会
火曜ヤングプー 1999.10〜2001.8
県
内各地の中学校・高校・公園・駅前などにおタコとユッキーが駆けつけ、集まったディスナーと交流を深めるコーナー。初めの頃はコーナータイトル通り握手を
することが目的だったが、いつからかディスナーのトークやモノマネが主流に。何百人もの生徒が集まってパニックになることもあれば、一人も来なかったこと
もある。浣腸やセクハラをはじめ、警察や先生に怒られたりスタッフが録音に失敗したりとハプニングも多い。1999年12月には、おタコが背骨を折って
1ヶ月ほど取材が中止。ロッテの「爽」のキャンペーンで綱引き対決を行った時期もある。2001年9月、おタコビクスの完成と同時にコーナー名を「おタコ
ビクス伝承会」と改める。

香椎工業編

西南学院編・大山君SP

かわいい学校バトル特別編

書記長録音失敗

吉永さん
音子組
水曜ヤングプー 1999.10〜2000.2
音
に関することなら何でもOKのネタコーナー。「この曲のこの部分はこんな風に聞こえる」とか、「この曲とあの曲が似てる」とか、「こんな面白い曲がある
よ」などのネタが寄せられる。このコーナーからあの「オマリーの六甲おろし」が発掘された。ちなみにオープニングテーマ曲は男闘呼組の「タイムゾーン」で
ある。

こんなコーナーでした
ダメ出し
木曜ヤングプー 1999.10
テレビやラジオの本番後に行われる反省会「ダメ出し」をコーナー化。世の中のあらゆることにダメ出しをしていくネタコーナーだったが、僅か一ヶ月で終了してしまった。このあと木曜日は次々とコーナーが失敗し、「魔の木曜日」と呼ばれるようになる。

こんなコーナーでした
お菓子なバトルトーク
金曜ヤングプー (1期)1999.10〜2000.3 (2期)2000.10〜2000.12
毎週女子中高生3人一組をゲストに招き、ロッテのお菓子を食べながらトークするコーナー。1999年と2000年の冬に期間限定で行われた。毎回テーマを決めてトークをしていくのだが、おタコがボロクソに言われて凹んでいることが多かった(笑)

こんなコーナーでした

こんなコーナーでした
署名の嵐
木曜ヤングプー 1999.11(1回のみ)
当
時、福岡ダイエーホークスの吉永幸一郎捕手がFA移籍するのでは?という騒動があった。これを阻止しようと番組が企画したコーナー。ディスナーがそれぞれ
の学校で署名を呼びかけ、なるべく多くの署名を集めようという趣旨だったが、このコーナーがスタートした翌週に吉永選手が結局残留を発表。わずか1回で終
了してしまった。
音源なし
キアヌがスゴイの
木曜ヤングプー 1999.11〜1999.12
コーナータイトルからして意味不明だが、これは当時おタコがよくモノマネをしていたおすぎさんのセリフである。とにかくスゴイものを挙げていくネタコーナーだ
が、これもいまいちブレイクしなかった。具体的にどんなネタが来ていたのかは覚えていないが、音源は運良くコーナー最終回の
“オープニングテーマのみ”が残っていた。

こんなオープニングテーマでした
ちょこっとギャグ
木曜ヤングプー 2000.1〜2002.3
お
馴染みの一言ギャグネタのコーナー。実はオールナイト・プーの時に放送した「ちょこっとにわか」が元になっている。常に投稿数も多く、人気は最後まで衰え
なかった。オープニングテーマはプッチモニの「ちょこっとLOVE」。それぞれのネタの前にもこのイントロが流れる。初期はおタコがラジオネーム・ネタと
もに全て読んでいたが、後期からはユッキーがラジオネーム・おタコがネタと分担して進行されるようになった。

こんなコーナーでした

沢田印のギャグ
テーマは一日にして成らず
水曜ヤングプー 2000.3〜2000.5
番
組から出される様々なテーマに沿って、ネタ・メッセージを送るコーナー。この頃盛んに言われていた「この番組を聞いている奴は友達がいない」という説から
「友達」というテーマが設けられるも、わずか4週目にして投稿数がゼロになってしまい「やはりディスナーに友達はいないんだ」という結論に達する。その後
「トルシエ」という意味不明なテーマにも投稿が全くなく、迷走を続けた末にコーナー終了となった。

こんなコーナーでした
キロロヘルツ
金曜(2000.10から月曜)ヤングプー 2000.4〜2000.12
毎
週、お題となる曲のフレーズを替え歌するコーナー。お題によってはおタコの歌唱力に笑わされてしまうことも多々あった。コーナー名の由来はおタコの
「1413キロロヘルツ」というギャグから。オープニングテーマはキロロ「砂に書いたラブレター」だったが、何故か途中からピンクレディーの「UFO」に
なった。このコーナーで大賞に輝くと「タマシロ」というノベルティが送られる。金曜日にお菓子なバトルトークが始まる関係で、
2000年10月に月曜日に移動した。

こんなコーナーでした
議題おくれ
水曜ヤングプー 2000.6〜2000.10
ディ
スナーから送られてきた疑問質問におタコとユッキーが答えていくコーナー。オープニングテーマは今は亡き河島英五の「時代おくれ」。毎週、議題を読み上げ
るアナウンサーやスタッフが登場。このコーナーで大賞に輝くと「Mr.オクレ」という謎のグッズがもらえたのだが、最終回ではMr.オクレ自身?が議題読
みに登場した。

こんなコーナーでした
俺の親父は留学生
水曜ヤングプー 2000.11〜2001.3
元
々はおタコがギャグとして歌っていた「俺の親父は留学生」の替え歌がブームになり、2番の歌詞を募集しているうちにコーナー化してしまった。毎週替え歌が
寄せられたほか、番組に来たゲストにも歌ってもらったり替え歌を作ってもらったりした。王様がイタリアで制作した?楽曲が完成すると、バンド結成・レコー
ディング等着々と計画が進められ、3月にはついにCDが完成。完成イベントでは制作枚数のほとんどが売れ、大成功に終わった。

こんなコーナーでした

イベント大成功で完結
旅芸人春駒
月曜ヤングプー 2001.1〜2001.9
番
組の初期に活躍していたラジオネーム「旅芸人春駒」さんが失踪してしまい、何とか戻ってきてもらおうと始めたコーナー。しかし結局戻ってくることなく
2001年9月に終了した。なお、このコーナーは当初「春駒」「夏駒」「秋駒」「冬駒」というランク付けが行われていた。その後はネタの面白さに応じてポ
イントがもらえる仕組みになり、これを集めると様々なノベルティがもらえた。

こんなコーナーでした
カウントダウンぬぽーん
金曜ヤングプー 2001.1〜2002.3
自
作の音ネタをMDやテープに録音して投稿してもらい、それをベスト10形式でランク付けするというKBC夜番組では20年来行われてきた御馴染みのコー
ナーである。番組のテーマソングを募集した流れでそのままコーナー化。名曲・名アーティストが次々と誕生し、一気に番組屈指の人気コーナーとなった。当初
はディスナーの投票のみでランクを決定していたが、ランキングが変わり映えしないということで、後半からはスタッフの独断と偏見も加わったランク付けと
なった。
こちらで全曲聴けます!⇒カウントダウンぬぽーん
第1回放送
新しいメニューを作る会
水曜ヤングプー 2001.5〜2001.6
オ
リジナルのレシピを送ってもらい、採用したメニューを実際にユッキーが作ってスタジオで食べようというコーナー。好評だったメニューは近日オープンするら
しい「おタコ食堂」のメニューに並ぶことが約束される。しかしスタジオ内での飲食が禁止されていたため終了。もちろん、「おタコ食堂」は未だにできていな
い。

こんなコーナーでした
内閣推理大臣
水曜ヤングプー 2001.7〜2002.3
現実では起こりえない不思議な現象をみんなで推理してもらおうというコーナー。タイトルの由来は当時国民的な支持を得ていた小泉首相。オープニングテーマはその小泉首相が大好きなXJAPANの「Forever love」。大賞に輝くと、歴代総理大臣に任命される。

こんなコーナーでした
おタコビクス伝承会
火曜ヤングプー 2001.9 (10月からはスマイルプーへ)
21
世紀型のエアロビクス「おタコビクス」が完成。これを世に広めるために作られたコーナー。握手会がリニューアルした形でスタートし、これまでと同様に学校
や各会場を訪問して回った。伝承先にはラジカセを持参し、音楽を流しながらおタコがお手本を見せる。そして集まった皆にも練習してもらい、その中から伝承
者を決定。伝承者に選ばれるとおタコビクスのカセットやCDがプレゼントされる。2001年10月にヤングプーから移動してきた。

こんなコーナーでした

ちっご祭

王様録音失敗
こちら中央区長浜・おタコ書店
月曜ヤングプー 2001.10〜2002.3
本の著者・タイトル・帯の文章を考えるネタコーナー。本といえばKBCラジオ「川上鴻一郎・本の気持です」ということで、オープニングテーマや、ネタの間のSEなどは全てこの番組をパロディにしている。

こんなコーナーでした
異性マジック
火曜ヤングプー 2001.10
異性の魅力について語るコーナーだったのだが、魅力を語り尽くすことなくわずか3回で終了。2001年10月からヤングプーは全てネタコーナー・月〜木はポイント制になったはずなのだが、これは果たしてネタコーナーだったのか?

こんなコーナーでした
おタコ・ユッキー・山本華世
火曜ヤングプー 2001.10〜2002.3
3
段落ちのネタコーナー。短命に終わった異性マジックに代わり、当時メッセージやネタで使われまくっていた山本華世がついにコーナー化。ネタの書きやすさと
山本華世という旬な名前のおかげで、スタート直後からいきなり人気コーナーに。途中からこの3人以外の名前も織り交ぜながらどんどんネタが進化していっ
た。これがヤングプー最後のコーナーとなった。

こんなコーナーでした